こんにちは、なりひら治療院の鈴木です。
新年度ですね。
今年に入ってからのブログ投稿数を見てみたら、2月は1本しか更新していなかったのですね💦
月に3本は更新を目標に頑張りたいと思います。
ワタクシ、意外と読書好きでして、定期的に本屋さんに行っては4〜5冊まとめ買いしてくる、
なんてことをします。
昨年末にも八重洲ブックセンターで年末年始用の本をまとめて買ってきたのですが、そのうちの1冊をご紹介しようと思います。
2024年度から新しくなる一万円札の人、渋沢栄一翁が書いた「論語と算盤」です。
まずは渋沢栄一の紹介を致します。
1840年、現・埼玉県深谷市の富農の家に生まれました。
一橋家(徳川御三卿のひとつ、徳川御三家に次ぐ家格)に出仕し、慶喜の将軍継承によって幕臣となり、
遣欧使節の一員として渡欧。維新後は明治新政府の招きで民部省、大蔵省に仕官しました。
1873年、健全財政を主張して辞任。民間の立場から商工業に関わることを志し、
第一国立銀行をはじめとする約500社もの企業の創立・発展に寄与しました。
経済団体を組織し、商業学校を創設するなど実業界の社会的地位向上に努めたほか、
社会公共事業や国際親善活動に尽力した人物。
1931年没。(引用:論語と算盤,角川ソフィア文庫)
東京商工会議所の初代会頭でもあります。
明治維新によって、諸外国との国交が開き、海外の技術や文化が急速に浸透し、
文明開花とともに士農工商制度は廃止され四民平等となり、産業の工業化が進み、
日本は民主主義・資本主義の国へと変貌していきます。
そのような、時代の急激な変化の中で渋沢が危惧していたことは、
「実業界(商工業)における倫理観の欠如」でした。
今でこそ信仰の自由において国教が定められていない日本ですが、江戸時代は国教と言わないまでも「儒学(儒教)」が中心でした。
孔子を祖とする儒教も時代を経るごとに変遷し、分派化されていき、江戸時代の日本では「朱子学」「陽明学」が主流となりました。
各流派の説明は割愛させて頂きますが、儒教の本筋は以下のように、
「五常を拡充することにより、五倫関係を維持すること」を教義としています。
五常
- 仁:人を思いやること
- 義:利欲に囚われず、やるべきことをやること
- 礼:仁の具体的行動方法。また人間の上下関係で守るべきこと
- 智:ただ学問に励むだけでなく、道徳的認識・判断力をも兼ね備えること
- 信:言明を違えないこと、真実を告げること、約束を守ること、誠実であること
これらの性質を兼ね備えることにより、五倫関係(父子・君臣・夫婦・長幼・朋友)を円滑に維持することが儒教の主旨だそうです。(参照:Wikipedia 儒教)
江戸時代では身分制度の為に、武士層と農工商層で受けられる教育に差があり、
朱子学的な道徳教育を受けていた武士層
と
ひたすらに収益を目的としていた農工商層
に二極化していたといいます。
つまり、「道徳なき実業界における拝金主義」と「現実を知らない道徳論者による商業蔑視」という構図だったようです。
このような実情において、渋沢は「現実社会において生きることのできる道徳に基づいた商業」として
道徳経済合一説を説き、この「論語と算盤」を著したのです。
渋沢栄一の生涯:東京商工会議所HP
https://www.tokyo-cci.or.jp/shibusawa/history/index.html
さて、話を本題に戻します。
この本で渋沢が一貫して主張していることは「仁義と利益、道徳と殖利は対になるものではなく、両立しなければ繁栄・発展はない」ということです。
私はこの主張こそが、我々が医業の一部として「あはき施術所」を営んでいくことの本質があると感じています。
医業という人の命や健康に関わる業種において、高い公益性と道徳性を求められることは以前にもブログで記しました。法令順守は大前提です。
(プロフェッショナルについて考えてみるおはなし:https://narihira-c.jp/blog_211215/)
反対に、当たり前ですが利益を上げなければ事業を存続させることはできません。
「医業と実業の中庸」でなければならないと思っています。
本文では10個のテーマに分けられています。
1章 処世と信条
・論語を基にした立ち居振る舞いによって道徳と商才は両立する
・争いは絶対に排斥すべきものとも限らず、発展・繁栄・成長の為には争わざる場合もあり、公益性や大義名分、道理に基づくか否かが重要
・得意な事でも調子にのると失敗する。得意な事・苦手な事・重要な事・些細な事の区別をつけることなく、全て同一の思慮分別を持って取り掛かること
といった処世術について書かれています。
2章 立志と学問
・日本人は細事にたちまち激怒し、すぐに忘れるという国民性がある←これ好き(笑)
・常に学び続けることで時代に遅れなければ精神が老いることはない
・江戸から明治へと物質的文明が進んでも人格は退化したように感じる。富とともに精神も進歩しなければならない
・青年時代は自分が正義と信ずる限り、あくまで進取的に行動し、初志貫徹で貫き通せばできないことはないという意気込みで取り組むべし。失敗しても多くの教訓が与えられ、一層剛健なる志を醸成し、壮年に進むにつれて有為となる。
・志を立てる時は一番慎重に考えなさい。自己分析を綿密にし、自身の身を置く境遇がやりたい事を許すかどうかも考慮しなさい。一生涯を通して取り組みたい事ができても、健康上の理由や経済上の理由でそれを許されない場合もある。世間の景気に誘惑され、熟慮考察しないようでは遂行することはできない。志の根幹が定まったのなら、枝葉となるべき小さな立志を定めて日々工夫しなさい。
今も昔も大事なことは変わらないのかもしれません。
3章 常識と習慣
・常識とは、「よく世間一般の道理を理解し(智恵)、普通一般の人情に通じ(情愛)、その時々に適した処置を取ること(意志)のできる能力」である
・智は物事の善悪を識別したり、利害得失を鑑別する力。情は他人の気持ち・感情を理解し、和合・円満を図る力。意は精神作用の源である意志の力。強固な意志を持ち、聡明なる智恵を加え、これらを情愛をもって調節することで「常識ある人」となる。
・善き習慣を持つ人は善人に、悪しき習慣を持つ人は悪人となるように、誰しも常日頃から良い習慣を養うことは重要である。
・習慣は何歳からでも改められる。習慣は善悪に関わらず、他人に伝播する。
・怠惰はどこまでいっても怠惰に終わる。決して怠惰から好結果が生まれることはない。勤務努力の習慣を得るようにしなければならない。
うーーーん、耳が痛い!(笑)
4章 仁義と富貴
・真の利殖は仁義道徳に基づかなければ、決して永続するものではない。己自身の利欲に走ると、仕事は次第に衰微してゆく。
・貧しいからといって心が清いかと言えばそうではなく、富んでいるからと言って心が汚れているわけでもない。好んで貧賤になれという事ではなく、道理のない富貴であるならばむしろ貧賤の方が好ましいが、金の重要性も孔子は説いている為、貧賤にしろ富貴にしろ、重要なのは「道理が伴っているかどうか(正当性があるかどうか)」である。
・富は一人ではなしえることはできず、社会の助力を得て為しうる。だからこそ、社会の為に助力し、社会へ還元することは当然である。
・金を正しく集め、正しく使う事は大事だが、むやみに使いすぎてはならないし、守りすぎてもならない。
・経済と道徳は一致、調和しなければならない。
この章では、正しく働いて、正しく稼ぎ、正しく使い、正しく貯める事が肝要であると説いています。
5章 理想と迷信
・商業でもっとも重要なことは「信」である。
信:言明を違えないこと、真実を告げること、約束を守ること、誠実であること
・自分が就いた職業を好きになり、研究し、理想をもって、追求していく。趣味にしていく。すると仕事に生命・心が宿り、人生が充実していく。心の宿らない仕事はただの木偶像となってしまう。
・商売とは自分だけに利益があればいいわけではない。自分が立派になりたければまず他人を立てなさい、自分が達成したければまず人を達成させなさい。利殖と仁義を一致させなさい。
・富をなす方法手段は、第一に公益を旨とし、人を虐げる、人に害を与える、人を欺く、偽るなどのない様にしなければならない。
いいですね、この章。
職業人としての理想だと思います。
6章 人格と修養
・修養に際限はなく、実践を伴い、成長しなければならない。
・実践を伴わない理論、理論の伴わない実践であってはならない。実践と理論の調和が重要。
・常日頃の心がけが大事。人の心は乱されやすく、変わりやすい。周囲の誘惑に流されやすい。修養を積んだ人間でさえ、惑わされることがある。平生から「こうすべき」「こうあるべき」「こうしなければならない」と心がけ、強い意思を錬っておかなければならない。
・そうして錬っていた主義主張が変わるような事があれば、再三再四熟慮せよ。急に決めずに、慎重に、時間をかけて検討しなさい。
・高尚な人格をもち、正義正道を歩むことで得た富や地位でなければ完全な成功とはいえない。
誘惑に打ち克てる人間になりたいです…
7章 算盤と権利
・孔子の教えはおのれを律する教えである
・競争は2種類ある。善競争と悪競争である。毎日人よりも早く起き、いい工夫をなし、智恵と勉強とをもって他人に打ち克つのは善競争。人のまねをし、盗み、掠めてやろうと考えて侵略するのは悪競争である。「競争は進歩の母」であるが、悪競争は多くの場合が、人を妨げ害し、国家の品位を貶める。
・事業の経営は、その仕事が国家に必要であって、また道理に適うものでなければならない。たとえその事業が小さく、利益が少額だとしても、国家が必要とする事業を合理的に経営すれば、心は常に楽しんで仕事に向き合える。
渋沢個人の見解としては、そのように多くの社会に必要有益な仕事であるならば、広く社会に認知され、堅固な事業として発展しなければならないと述べている。
どうですかね、あはき業界。
認知も少ないし、脆弱ですけど、広く社会に必要な事業だと僕は思ってますけどね。
8章 実業と士業
・武士道における、正義・廉直・義侠・敢為・礼譲といった価値観は実業においても重要で、決して武士道と実業は相反するものではなく相並ぶ部分が多分にある。
・維新以来、物質的文明は格段に発展したが商業道徳は発展せず、むしろ衰えたと捉えている。物質・経済は成長したが心が成長しなかった。
・中国とは地理的・歴史的・文化的に近しい所が多く、互いに共存共益すべきだと考える。
・我が国には外国品を偏重するフシがある。欧米心酔、自国蔑視な風潮がある。
長らく日本社会の中心にいた武士たちと脇役であった商工業者たちの性質を比較し、さらに海外との比較をメインに展開されている章です。
9章 教育と情誼
・近頃の青年の師弟関係は全く乱れ、生徒は教師を尊敬せず、教師も生徒を愛していないようにみられる。師の講義のここが悪い、面白くない、時間が長いなどと欠点をあげつらう。師も徳望・才能・学問・人格をより一層磨かねばならない。
・現在の教育は知識を教えるだけとなり、生徒も知識の為だけに勉強するようである。仁義礼智信を教え、礼節を重んじた昔の教育のように品性を養う教育がなくなってしまった。
・優れた人にはみな、優れた母がいた。ゆえに女子教育が必要であると説いた。→津田梅子ら、近代日本の女性教育の祖とも言うべき人たちを支援した。
100年前と現在で言ってる事が同じですね、、、どうなってんだ日本。
なんにも変わってないんじゃないか…
10章 成敗と運命
・第一に誠実に努力すれば必ずその人に幸いし、運命を開拓するように天が仕向けてくれる
・愉快に仕事をすれば、楽しさの中に感動が起こり、事業が大きくなり、社会の利益となる。反対に嫌々と仕事をすれば、倦怠・困憊し、やがてその身の滅亡となる。
・忠恕の気持ち(真心と思いやりがあること、忠実で同情心が厚いこと)で仕事に臨むことが、立身の基礎であり、幸運を摑まえる秘訣である。
・生きている間に成功をおさめたとしても亡くなってから崇拝されない場合もあるし、生きている間は失敗したとしても亡くなった後に崇拝される場合もある。世の中のいわゆる失敗は必ずしも失敗ではないし、成功もまた同様である。
「他人への思いやりを持ちながら、自分が楽しめて没頭できる事」を仕事にできるってとても幸運で有難いことなんだと思います。
あん摩マッサージ指圧師という職業につけたことを幸せに思います。
10章まで簡単にまとめてみました。
これを見て「今、自分がやってる仕事に全部当てはまるわ!」と思う人は適職なんだと思います。
反対に自分の適職で迷っている人は選択や判断の指針の1つになるのではないでしょうか。
職業だけではないですね。
道徳観・倫理観は生涯養っていかねばならないものであり、人生をかけて人格形成をしていかなければなりません。
資本主義国である以上、医療・健康・福祉と売上利益は切り離せるものではありません。
集患し、サービスを提供して、収入を得なければなりません。
そこには適正・適法・適切な方法が求められます。
虚偽・詐称・誇大・過度な広告、誘因、サービスの提供をすることなく、純粋な商売をしなければなりません。
「SNSのフォロワー数を増やす」「動画配信でファンを増やす」「広告で集客を増やす」といった事も大事ですが、何を発信するのかという中身については倫理観が求められます。
アフィリエイト目的で根拠のない健康情報や下手すると命に関わるようなニセ健康情報を発信しているものもあります。
違法性・不当性のない集患→料金以上の価値を感じてもらえるサービス→患者満足度の向上→紹介による集患数UPというサイクルを回し続ける事が肝要です。
この本を通じて、やはり医業と実業の中庸を貫くことがきっと正解なんだと再認識させられました。
漢文や古い日本語が混じっているので読むには時間と根気がいりますが、職業人にはおススメの本だと思います。
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