ざつだん

父のおはなし

おはようございます、なりひら治療院の鈴木です。
朝晩が肌寒い時期になってきましたが、これくらいの気候が過ごしやすくていいですね。

さて、今日は写真などをあまり入れずに文章だけでお話させて頂きたいと思います。
長くなります。
「長い話は読みたくない」
という方はそっと踵をお戻し下さい。

今から4か月前、梅雨入りしたかしてないか、くらいの時期です。
お昼過ぎに治療院の電話が鳴りました。
治療中だった私は患者さんにお断りをいれ、電話に出ました。
普段電話を掛けてくることのない妹からでした。

読んで下さっている勘のいい皆さんなら「まさか、、、?」と虫の知らせ的な直感が働くかもしれません。
ボンクラな私は全くそんな直感も働くこともなく。


妹「お父さんが倒れたらしい。とりあえず○○病院に搬送されたというので今から行く」





はい?????

僕「そうか、とりあえずわかった。病院行ってやってくれ。俺は今施術中だから終わったらまた電話する」

父と妹は地元静岡、私は東京。患者さんもいらっしゃる。いずれにしてもすぐには動けません。
様子が変わった僕を見て、患者さんも何か感づいたらしく心配してくれました。
身内に事故があったとはいえ、医療従事者として患者さんを診させて頂く身ですので
平常心を取り戻そうとしますが、やはり心乱されます。
中学時代、母親が亡くなった直後、教室の掃除中に急に堰を切ったように涙が溢れてきたことを思い出しました。

施術が終わり、携帯を確認すると叔父(父の弟)からの着信が入っていました。
「職場で倒れて救急車で運ばれた。意識はあるらしい。脳出血だそうだ。
オペのできない場所らしく、自然止血を待つしかない。
2~3日はICU入る。自然に止血されればいいが、止血がされない場合は最悪のこともある。
コロナもあって面会はできないから、静岡帰ってきてもやる事はないし、とりあえず落ち着け。
進捗あったら連絡する」と。

基礎疾患として高血圧があったのは知っていました。
血栓防止の為のワーファリン(抗凝固剤)を飲んでいたことも。
高血圧性脳出血は
・被殻出血
・視床出血
・橋出血
・小脳出血
・皮質下出血
に分類されます。

父の出血部位は橋出血。
橋(きょう)とは、脳の中でも脳幹部と呼ばれる部位の一部です。
脳幹部は眼球運動・聴覚・味覚・呼吸・血圧・顔の感覚や表情筋・咀嚼筋の運動を支配したり、
平衡感覚を司ったりと、重要な脳神経が出発している場所です。
橋はそのうちの、三叉神経・外転神経・顔面神経・前庭神経・蝸牛神経の出発点です。

私はなりひら治療院をオープンさせたばかり。
恥ずかしい話、お金も時間もありません。
(患者さんが多数ご来院下さっているという訳ではありませんが、
診療時間は院を開けて常駐していなければなりません)

今はできる限り、治療院に注力していたい時期でした。
いつかこういう日が来るだろうと予想はしていましたが、今じゃないと。
これからどうする?
親父は仕事できるのか?
日常生活は?
お金は足りるのか?
自分は深夜バイトなどで仕事を増やして実家への仕送りを増やさなければならないのか?
それで治療院は継続できるのか?

たくさんの不安が頭をよぎるまま過ごした数日でした。

2~3日後、叔父から、父の出血が無事止まり一命は取り留めたと連絡がありました。
当面は藤枝の脳卒中専門病棟のある急性期病院に入院すると。
手続きや主治医からの病状説明があるとの事で、私も静岡へ戻りました。
コロナ禍ですので病棟の中に入ることはできませんでしたが、
ナースステーションの前で扉越しに車いすで介助される父の姿を見ることができました。
お互い手を挙げて挨拶ができたので、非常に安堵し、胸をなでおろしました。

当時の父の症状としては、
・右耳が聞こえない
・右目の視点が合わずに物が二重に見える(複視と斜視)
・右半身の感覚麻痺
・自立歩行不能
・発語障害(喋れるけど、ろれつが回らない感じ)
でした。

病状説明と入院手続きを済ませ、次は父の職場への事情説明に。
会社としてもテレワーク体制を整えようとしていた所で、父の復職についても前向きに考えてくれていました。
まずはしっかり休養・リハビリしてほしいと。
とても安心しました。
その後は近しい親戚や噂を聞いた父の昔馴染みや昔の同僚の方への連絡、保険会社への連絡。
病院とのやり取りや入院患者の着替えの受け渡し等は各家族1名のみに限定されていたので、妹に窓口を一本化。
介護認定申請なども妹に依頼。
負担はかけますが、ひとまず落ち着きました。

2週間後に急性期病院からリハビリ病院に転院する事に。
急性期病院には2週間以上の入院はできないらしく、脳卒中後の病院分類はしっかりとした決め事があるようです。
転院先は元々住んでいた土地であり、今も親戚が多くすむ牧之原市の総合病院。
母も入院していたので色々と思い出のある病院です。
20年が経ち、とても綺麗なエントランスに改装されていました。

入院時のミーティングが開かれます。
出席者は
我々家族と、
主治医:全体的な治療スケジュールと方針、現時点の病状説明
ソーシャルワーカー:当チームの進行・まとめ役。その他色々な行政手続きなどのやり方を教えてくれる。
理学療法士:運動療法によるリハビリ指導。歩行訓練・筋力トレーニングなど。
作業療法士:日常生活における必要動作のリハビリ指導。食事や入浴、洗面、トイレなど。
管理栄養士:栄養指導。食事による生活習慣病改善。
看護師:入院生活中の身の回りの管理、ケア、指導など。
の先生方。
ここでリハビリにおけるチーム医療の重要性を垣間見ることができました。
願わくば、あん摩マッサージ指圧師もこのチームに入ることができないかと考えながら。

月1で開催されるミーティングもオンラインで実施しました。
そう考えるとなかなかに便利な世の中になりました。
しかし、コロナの影響による入院中の面会謝絶はこちらの病院でも変わりません。
携帯やタブレットは持ち込んでもよく、父ともLINEなどで連絡を取り合えることができるようになりました。
スマホ入力ができるようになっていたのも安心材料でした。

7月頭からの父のリハビリ入院生活が始まりました。
父の性格を知っている我々家族としては、
「リハビリを真剣にやるだろうか…?」
「危機感なさそうだし、リハビリもサボるんじゃなかろうか…」
と心配していました。

しかし、母のいない我が家ですので、「自分のことは自分でやらないと誰も面倒見てくれない」という
自覚と危機感があったのでしょう。
また62歳と比較的若かったのも幸いでした。
そして、発症2~3日後からリハビリに取り掛かれたことも重要でした。
父の症状はみるみる改善していったようです。

LINEもきちんと帰ってくるし、自分のリハビリ動画も送ってきます。
立ち上がれるようになった様子、歩き出せるようになった様子、階段昇降訓練の様子など
1か月ごとにしっかりと変化していく経過を見ることができました。
また1日1600キロカロリーに管理された食生活により、体重も7~8キロ落ち、
HbA1Cも適正値になったと。
しっかりと管理・指導して下さった病院の皆様のおかげです。
本当にありがとうございます。

そして約4か月に渡る入院生活を終え、先日退院する事ができました。

退院後の食事管理が大事だとわかっているものの、退院した日くらいはと言うことで
“私の奢りで”、いい感じのお寿司を3人前ほどデリバリー。
もう一度言います。
私の奢りでいい感じのお寿司をデリバリーです。
いつも実家に帰った時ほど私の持ち出しが多くなる現象は一体なんなのでしょう( ;∀;)
いえ、気にしてませんよ。
おめでたいのですから。

恥ずかしいので、顔は伏せますが多分大人になってから初めて父と写真を並んで撮りました笑
父がだいぶ痩せたので似たような体格になりました。
親子なんですね笑

再発防止、体質改善、後遺症の軽減と改善などこれからの生活習慣が非常に大事になります。
父には右半身の感覚障害が残りました。
触覚はあるものの、何に触れているかという判断がつきづらいそうです。
健常であれば、触れたものの材質を目を閉じていても触覚だけで判断できます。
しかし、父の場合、テレビのリモコンもソファーもスマホもほとんどの物が、
「何か触っているけど、何を触っているかわからない」状態だと言います。
視覚で判断すると。

脳卒中の後遺症には”あん摩マッサージ指圧術”はかなり有効と言えます。
また、あん摩マッサージ指圧師免許を保有すると機能訓練指導員という肩書きも加わります。
長生ばかりでしたので、正直機能訓練等のリハビリ分野は勉強すべきことがたくさんあります。
ここは父に実験台となってもらい、長生術での脳卒中後遺症改善方法の研究と
機能訓練の実地研修を行っていきたいと考えています(^ω^)
なんとか診療時間の合間を縫って、月に2〜3回は実家に戻ろうかと考えており、
せっかく静岡に帰りますので、静岡出張施術も再開しようと思います。

「また1人、家族が減るかもしれない」
という不安と恐怖を感じる出来事でした。
そして家族の大切さを改めて感じる出来事でもありました。
家族とはいえ、各々独立した人間だ。と少し驕っていた部分もあったかもしれません。
どこまでいっても家族は家族なのです。必要な存在なのです。
いて当たり前の存在がいなくなるかもしれないという恐怖感。
存在している時には感じることのできない感覚。
1年に1度会うと仮定して、多くても残り20〜30回しか会えないのです。
同じ家に住んでいた時は365日顔を合わせていたというのに、1ヶ月分しか会えないのです。
離れて暮らしているのであれば、親も子もお互いに、その点を考えておくべきだと思いました。
そして自分も別の家族をもつべきとも。
まぁ、これは自分1人じゃなんともなりませんからいいご縁が巡ってくるのを願うしかありません笑

いやはや、なんとも心の落ち着かない四半期でありましたが、ようやく落ち着きを取り戻せそうです。
最後になりましたが、父の治療・リハビリに当たってくださった両病院の関係者の方々に改めて最大の感謝を。
本当にありがとうございました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

なりひら治療院、今日からも頑張っていきまっせ!!

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